新しい時代へ
復興する大村
大村は明治維新の廃藩置県により大幅に人口が減少しましたが、明治二十九年(1896)陸軍の歩兵第46連隊が設置されると、大村の経済にも活気が戻ってきました。大正十二年(1923)海軍の航空隊が設置されるとさらに発展しました。また昭和十六年(1941)に第21海軍航空廠が設置され人口も10万人を超えました。
第二次世界大戦中には、この大きな航空廠も空爆を受け、工場は大きな被害を受けるとともに大きな人的被害を被りました。戦後は、この土地の一部は自衛隊が利用し、また日本で最初の出入国管理庁ができました。
現在大村市には、陸上自衛隊と海上自衛隊が駐屯しています。
大村市役所
大村駅の誕生
九州の鉄道は明治二十二年(1888)に九州鉄道会社が設立され、鉄道建設が始まりました。長崎県には国内でも重要な港である長崎港があり、佐世保に海軍の基地が設置されたことから、鉄道の重要性が高まっていました。鳥栖から早岐を通り、大村そして長崎へと通じる長崎線が開通したのは1898年のことでした。開通した頃、大村には[大村駅]と[松原駅]しかありませんでした。※大村駅:1898年1月20日に開業 竹松駅:1922年12月1日に開業
大村市の誕生
大正十四年(1925)に大村町と大村が合併して大村町となり、さらに1939年には、大村町と西大村と竹松村が合併し、新しい大村町ができました。
その後、昭和十六年(1941)に当時の大村町長より県に対して、合併して市となる申し出がなされました。同時に、周辺の村の各村議会においても、合併について議論が何回となく重ねられました。そして昭和十七年(1942)2月、一町五村(大村町、三浦村、鈴田村、萱瀬村、福重村、松原村)の合併により大村市が誕生しました。
空港完成
昭和三十一年(1956)に、海軍航空隊の飛行場を利用してつくられたのが大村空港でした。その後、昭和三十四年(1959)には、新たな空港ターミナルが完成します。空港が開かれたことにより、大村は長崎県の空の玄関口となり、交通の拠点としての第一歩を踏み出したと言えます。しかし、次第に利用者も増え、また飛行機のジェット化により空港の滑走路が狭くなってきました。そこで、新たな空港として選ばれたのが、大村湾に浮かぶ箕島(みしま)でした。
当時、箕島は、66人の人が住み、農作物として西瓜や大根の名産地でした。空港をつくるためにはこの全ての人が家や田畑を捨て、住み慣れた島を離れ、本土に移り住みました。
長崎空港は三年間をかけて完成し、昭和五十年(1975)5月に、世界初の海上空港として開港しました。その後、中国(上海)や韓国(ソウル)といった国際便も就航ようになり、世界への玄関としても利用されています。
長崎空港