異国文化行き交う長崎街道
長崎街道は、江戸時代、小倉から長崎に至る全長57里(約228km)の街道です。
長崎に入ってきた西洋文化は、この街道から山陽道を経て大阪・京都へ、そして東海道を経て江戸へ伝わりました。この街道を通って海外の情報や物資が日本に入り、ある時は海外へと出て行くなど、日本と海外を結ぶ道でした。
長崎県内の宿場は、嬉野から俵坂峠を越えて彼杵宿、松原宿、大村宿、永昌(諌早)宿、矢上宿、日見宿、長崎となっていました。大村市内には松原宿と大村宿の跡が残ります。
オランダ商館の医師シーボルト・司馬江漢(絵師・蘭学者)・頼山陽(儒者・詩人)・伊能忠敬など多くの人がこの街道を歩きました、また、「象が江戸まで歩いていった」という珍しい記録もあります。
松原宿跡
松原宿は長崎街道の宿場で、ここには本陣や脇本陣はなく、宿場の中央部にある八幡神社の門前に酒屋を兼ねた茶屋が建てられ、諸大名が通行する時の小休憩場所にあてられました。
その向かい側には、旧松屋旅館が当時の風情を残して今もなお建っており、内部の見学もできるようになっています。
大村宿
長崎街道の宿場で、大村藩2万7000石の城下町にあり、旅籠や芝居小屋、一杯飲み屋などがあり宿場町として栄えていました。
使者屋跡
諸大名や幕府の役人などが大村を通行する時、公式のあいさつの使者を取り次いだ役所です。藩からは、家老・用人などが出向いてきて対応をしました。
鈴田峠
鬼の足形石
十字路が藩境でありで、ここに今も残る鬼の足形石。
大渡野番所跡
領民の出国や他領からの入国を取り締まっていました。